和解済みの声
鹿児島地裁で和解された皆さんの声
鹿児島市内在住 原告 30代 女性
私がB型肝炎ウイルスに感染していることを知ったのは、16歳のときに初めて受けた献血がきっかけでした。
献血後に送付されてきた採血結果とともに、B型肝炎ウイルスに感染しているため病院受診を勧めること、私の血液は使用できないため廃棄処分となったことを記された書面が送付されてきました。
それを読んだとき非常にショックを受けたこと、これから先の自分の人生がどうなってしまうのだろうと16歳の自分がとても不安を抱いたことを、今でも覚えています。
その後、B型肝炎のフォローを総合病院で行うようになりましたが、毎回多額の費用がかかることや、特に自覚症状はなく検査結果も毎回変わり映えしないことから、だんだんと定期検査への足が遠のいていました。
幸い、仕事柄、定期的な健康診断を受けていましたので、肝機能の数値は留意していましたが、結婚・出産を機に今後のことを考え、再度専門医での定期フォローを考えるようになりました。
しかし、受診費用の出費が大きいことや集団予防接種が原因ではないかと疑問を持ち続けていたこともあり、たまたま新聞でB型肝炎訴訟についての記事を読み、少しでも可能性があるならとチャレンジしてみることにしました。
その資料収集の中で母親が精密な採血検査を行ったところ、実は母親もB型肝炎ウイルスに感染していることが判明し、私だけではなく母親までも訴訟の対象となる展開となりました。
これまで様々な過程があり、途中くじけてしまった時期もありましたが、最終的に、私も母親も和解対象者となるに至り、今までの苦労が報われて良かったです。
また、今後の定期フォローの助成があるため、安心して定期検査を受けることができると思い、安堵しております。
鹿児島市内在住 原告 60代 女性
この度は、B型肝炎訴訟の和解に向けてご尽力くださいました鹿児島県弁護団、担当弁護士の方に深く感謝し、御礼申し上げます。
娘のB型肝炎ウイルスの感染が献血で分かり、娘が薬を服用した時期もあったため、娘の将来がどうなるのか不安でした。
今回、娘のB型肝炎訴訟の準備のため、母親の私の血液検査を行ったところ、私もB型肝炎ウイルスに感染していたことが分かりました。
資料収集は大変でしたが、私ひとりでは訴訟はできなかったと思います。
娘が訴訟の手続を最後までやり遂げてくれ、母娘で和解対象と認めて貰えて大変安堵しております。
すべての原告の方が和解を勝ち取ることを心から祈っております。
和解にあたって
東京都内在住(鹿児島県出身) 原告 40代 男性
私は、B型肝炎で人生を狂わされた一人です。
人生の中でも最も大切な時期に、最大の屈辱を味わったうえ、目標としていた職業に就くことが叶いませんでした。人生の岐路を見失ってしまった私は、自暴自棄になり、言い知れぬ不安感に苛まれる日々を送り、来る日も来る日も真っ暗な闇の中をただひたすら迷い歩く日々でした。深い闇が私に覆い被さり、離れてくれませんでした。あの日、あの時、味わった屈辱は、私の人生を大きく変えてしまうほどの巨大な力で、私を押し潰しました。大きく外れてしまった私の道。ただ前を見てひたすら歩む、それが今までの私自身でした。
そんなどん底の心境のさなか、B型肝炎訴訟という裁判があることを、母を介して知りました。20数年前のあの悔しさ、悲しみ、屈辱を晴らすには、良いチャンスだと思えた瞬間でした。徐々にですが、どん底だった心境に、少しずつ少しずつ一筋の光が差し込み、前向きな心境になって行きました。
訴訟をするにあたり色々な困難もありましたが、本日、やっと和解することができました。それも、情熱の溢れる弁護士の方々、そして、原告団の皆様方のおかげだと、感謝の気持ちでいっぱいです。 私と同じように、一人でも多くの方々に、国と闘って欲しいと思います。
この度、和解ができたこと、正直ほっとしています。感染していると分かってから、子どもを3人産みましたが、感染のことが頭から離れたことはありません。
小さい頃、予防接種をしただけなのに…。「なぜ私が?」という思いも消えることはありません。
母は、母のせいではないのに、知らないうちに私を感染させてしまったことをいつも「ごめんね」と申し訳なさそうに言います。
病院に定期検査に行くたびに、びくびくして怖い思いです。できれば考えたくないのが本心ですが、将来子ども達に迷惑をかけるわけにはいかないと思い立ち裁判をすることに決めました。
今後のことは分かりませんが、とりあえず一区切りがついて良かったと思います。
担当の先生、ありがとうございました。
B型肝炎キャリアと言われながら未だ訴訟に名乗り出ていない方に、ぜひとも考えていただきたいと思います。
今は普通に生活できるからといって、いつまでもそれが続く保証はどこにもありません。
そうであれば、我々がなすべきは、問題を無責任に放置せず、今打てる最大限の手立てを積極的に打って行くという事ではありませんか。
ひるまず、ぜひ弁護団の訴訟活動に参加して下さい。
訴訟提起から約2年余り、途中、妻は、和解の言葉を聞くことなく、70歳の誕生日を迎えまもなくこの世を去りました。
長かったとも短かったとも思えますが、担当弁護士の先生方のご尽力により「和解」という言葉を聞くことができ、これでようやく墓前に報告ができます。
介護の日々の中、妻の部屋から訴訟のために準備したと思われる書類を見つけました。
恥ずかしながら、私は、B型肝炎訴訟については何も知らず、妻の部屋にあった書類で初めて知りました。
その後、弁護士の先生に書類を送り、不足している書類等アドバイスを受けながら必要な書類を集めて提出し、提訴、そしてこのたび和解に至りました。